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最高裁判所第二小法廷 昭和42年(オ)966号 判決 1968年2月09日

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人藤平国数の上告理由第一点について。

所論の証人矢田川明は証言当時九才、小学四年生であり、同江越さがみは証言当時八才、小学二年生であり、いずれも本件被害発生後約一年九ケ月を経過した後であるところ、民訴法では証人となることができる能力について年令による制限は設けていないから、児童といえどもある程度事理を弁別し、それを表現する能力をそなえている者であるかぎり、証人となることができることは勿論であつて、前記各証人はその年令、学童であることなどに照らし右の能力をそなえているものと判断して妨げなく、右各証人に証人として証言する能力を欠くものということはできない。

尤も、証人が児童である場合には、児童であるがためたとえば、証言事項が複雑な事項であるとか、他人殊に訴訟関係人による暗示が加えられたような場合には、経験則上その証言が信憑性を欠き証拠として採用できない場合もありえよう。しかし、原判示によれば前記各証人の証言事項は単純にして且つ印象深い出来事であり、しかも右各証言をつうじてみてもその供述内容に少しの不自然さもない、というのであり、また右各証言について他人より暗示を受けたことをうかがうに足りる事実も認められていないのであるから、このような事情のもとにおいては、所論のごとく証人の年齢、歳月の経過など考慮しても、右各証言に信憑性がないものということはできない。

従つて、右各証言を採用した原審の判断に所論の如き法令違背または経験則違背の違法があるものとすることはできず、論旨は理由がない。

同第二点について。

原審の確定する事実によれば、本件加害者福島美夫(当時八才、小学二年生)と矢田川明の両名がいずれも手製の弓(古竹を割り、これに紐を張つて作製した長さ約五〇センチメートルのもの。)と矢(よもぎの枯茎の先端を削つて作製した長さ約五〇センチメートルのものでその先端は削られているもの。)を携えて、被上告人(当時六才)他三名の児童らと屋外において戦争ごつこまたはインディアンごつこという遊戯をし、右六名が二派に分れて美夫、矢田川の両名が所携の弓矢をもつてその余の者を追いかけることとし、被上告人他一名は美夫に追われてごみ箱かげに身を寄せていたが、美夫がそのほゞ四メートル手前から被上告人に向つて弓に矢をつがえて放つたところそのうち一本の矢があやまつて被上告人の左眼に当り、これにより被上告人の左眼は失明するに至つた、というのであるから、美夫の右行為は、遊戯中の行為であるからといつてもその行為の態様、なかんずく本件の如く重大な結果を発生するおそれがあることなどからみて社会的に是認されるものということはできない。従つて、これと同旨の判断のもとに、美夫の本件行為について違法性がないとはいえないとした原審の判断は正当であり、原判決には所論の違法はなく論旨は理由がない。

同第三点について。

原審の確定する事実によれば、被上告人らの外出に際し被上告人の母美智子は、矢田川および美夫らの携行していた弓矢を現認して被上告人に対し外出を差し止めたが、被上告人らが切望したためやむなくこれを許したけれども、被上告人にも矢田川および加害者美夫にも弓矢の使用を禁じその旨を約束せしめていたというのであり、当時の同人らの年令即ち、被上告人は六才二ケ月(未就学)、美夫は八才七ケ月(小学二年生)、矢田川は小学二年生であることを併せ考えれば、右の程度をもつて被上告人の親権者らは被上告人に対する監督責任を果したものと解してよく、所論の如く更に進んで美夫らの所持する弓矢を取り上げることまでしなかつたからといつて監督責任上の過失あるものとすることはできない。それ故これと同旨の原審の判断は正当であり、原判決には所論の違法はなく、論旨は理由がない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 奥野健一 裁判官 草鹿浅之介 裁判官 城戸芳彦 裁判官 石田和外 裁判官 色川幸太郎)

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